遺伝子工学

モノクロナール抗体は、遺伝子工学の手法で造られます。遺伝子工学は、遺伝子を人工的に操作する技術のことを指します。特に生物の自然な生育過程では起こらない、人為的な形式で行うことを意味しています。遺伝子組換えに遺伝子導入などの技術で、生物に遺伝子操作を行うことを一般的にいいます。

遺伝子とは?!

生物の遺伝情報を担う主要因子であると考えられています。全ての生物でDNAを媒体として、その塩基配列にコードされています。ただし、RNAウイルスではRNA配列にコードされています。

遺伝子の機能とは

遺伝子はDNAが複製されることによって次世代へと受け継がれていきます。複製はDNAの二重らせんが解かれて、それぞれの分子鎖に相補的な鎖が新生されることで行われていきます。

本質的には、ただ情報でしかない遺伝子が機能するためには発現(遺伝子の情報が細胞における構造および昨日に変換される過程)される必要があります。発現は、一般に転写と翻訳(mRNAの情報に基づいて、タンパク質を合成する反応)の過程を経て、遺伝情報(= DNAの塩基配列)がタンパク質などに変換される過程です。こうしてできたタンパク質が、ある場合は直接特定の生体内化学反応に寄与して化学平衡などに変化をもたらすようになり、ある場合は他の遺伝子の発現に影響を与え、その結果形質が表現型として現われてきます。転写はDNAからRNA(mRNAやrRNAなど)に情報が写し取られる現象であり、翻訳はmRNAの情報を基にタンパク質が合成される過程です。この過程はセントラルドグマとも呼ばれています。

mRNAとは:伝令RNA タンパク質に翻訳され得る、塩基配列情報と構造を持ったRNAのこと。

rRNAとは:リボソームを構成するRNAです。RNAとしては生体内でもっとも大量に存在します。

生物学での研究が基盤となるバイオケミカル産業

    遺伝子の歴史

    現在の遺伝子の概念はメンデルによって定義されました。メンデルはエンドウ豆のいくつかの表現型に注目した交雑実験を行い、表現形質が分離することを発見しました(1865年 →メンデルの法則)。これを説明するために形質を伝える因子たる「遺伝粒子」を考え、これが現在の遺伝子の基となっています。それまで形質は、液体のように混じりあっていくと考えられていました。しかし、長らくメンデルの法則は不評だったため、1900年に再発見されるまで理解されませんでした。

    細胞学者たちは減数分裂の様子を観察し、対になった染色体が一つずつになり、接合後に再び対を作るという染色体の挙動が、遺伝子のそれと同じであることを発見しました(→染色体説)。そして、ショウジョウバエの突然変異(※1)を用いた遺伝学的実験によりそれが明らかなりました。

    染色体はタンパク質と核酸からできていることが明らかにされましたが、当時はタンパク質が遺伝子の正体であると考えられていました。多数の種類があるタンパク質に比べて、核酸はあまりにも多様性が低いと考えられていたためです。実際、100bpのDNAの情報量は約10の60乗 (4100) であるのに対し、100個のアミノ酸で構成される蛋白質の情報量は10の130乗 (20100 = 2100 × 10100) と差が非常に激しくなっています。

    しかし、肺炎双球菌やファージを用いた実験で DNA が遺伝子の正体であることが実証され、そのすぐ後に DNA の構造が解明されました。。DNA の二重らせん構造は遺伝子の性質と非常によく一致していました。

    ※1突然変異を人為的に誘発できることを実験的に証明したのは、ハーマン・J・マラーです。彼はショウジョウバエにX線を照射し、次世代の致死率を測ることにより、理論値から推測した。以降、生物学(遺伝学)では人為的に突然変異を誘導する変異導入により突然変異体を得て、その表現型を観察することで、遺伝子の機能を解析してきました。

    メンデルの法則発見から二重らせん構造発見までの歴史

    1865年 グレゴール・ヨハン・メンデル(現在のチェコ)がエンドウ豆の交雑実験の結果を発表。(→メンデルの法則)

    1869年 ミーシャーが膿の細胞抽出液からDNAを発見します。

    1900年 メンデルの投稿した論文がユーゴー・ド・フリース(オランダ)、カール・エリッヒ・コレンス(ドイツ)、エーリッヒ・フォン・チェルマック(オーストリア)によって再発見されました。この再発見者の一人フリースはパンゲン説を推し、細胞内で形質を伝達する物質をパンゲンと仮定します。

    1903年 ウォルター・S・サットンが遺伝子が染色体上にあることを提唱しました。(→染色体説)

    1909年 ヨハンセンはメンデルの指摘した因子をフリークの名づけたパンゲン (pangen) から『gene(遺伝子)』と呼ぶことを提案しました。

    1910年 トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエの交雑実験を始めます。

    1921年 DNAのテトラヌクレオチドモデルを解説した論文が発表されます。当時、遺伝物質は多様性に富んだポリペプチド(タンパク質)であり、テトラヌクレオチドはその保護の役割を果たしていると考えられていました。

    1922年 モルガンらのグループによってショウジョウバエの4つの染色体上に座している50個の遺伝子の相対位置が決定され、発表されます。

    1927年 ミューラーがX線は遺伝子に突然変異を導入することを指摘します。

    1934年 カスパーソンがDNAは生体高分子であることを示し、テトラヌクレオチドモデルが誤りであることが証明されました。

    1935年 マックス・デルブリュックらは、遺伝子は物質的単位であることを提案します。

    1941年 ビードルとテータムが『一遺伝子一酵素説』(1つの遺伝子は1つの酵素をコードしている)を発表。

    1944年 フレデリック・グリフィスの肺炎双球菌の形質転換実験(グリフィスの実験)を元にした、オズワルド・アベリーらの『DNAが遺伝物質であることの実験的証明』を収めた論文が掲載されました。この論文はDNA=遺伝物質であることが確実な今では、矛盾のないものですが、当時は評価を全く受けませんでした。(註:この見方は、アヴェリーが属していたロックフェラー研究所およびその周辺での、当初の反響を伝えているに過ぎません。実際には、ジョシュア・レーダーバーグ、ジェームス・ワトソン、マックファーレン・バーネットなど現代遺伝学・分子生物学の元を築いた科学者たちが、「まだ初学者であった頃にアヴェリーらの論文を読んで大きな刺激を受けた」と述べています。ちなみに、ワトソンは彼の著書(ワトソン&ベリー『DNA』)のなかでも、「アヴェリーの実験はハーシーとチェイスの実験が行われる前に既に評価されていた」と重ねて記しています。つまり、先を見据えていた科学者の間では正当に評価されていたということでもあります。)

    1950年 エルヴィン・シャルガフがペーパークロマトグラフィーを用いて塩基存在比に数学的関連があることを明らかにしました(AとT、GとCはそれぞれ数が等しいことを示す)。

    1952年 アルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによる『ハーシーとチェイスの実験』結果が論文に掲載されます(J. Gen. Physiol. 36:39~56)。本論文によってファージの遺伝物質がDNAであることが確実視されたと言われています。同年、ロザリンド・フランクリンがDNAが二重らせん構造であることを証明するX線回折像写真を撮影します。

    1953年 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAのB型二重らせん構造のモデルが示され、DNAは生体内で『二重らせん構造』をとっていることを示す論文が発表されました。

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    二重らせん構造発見以降の歴史

    1955年 セベロ・オチョアによってポリヌクレオチドホスホリラーゼが発見されました(一見遺伝子とは無関係ですが、遺伝暗号の解明に寄与した重要な酵素です)

    1956年 エリオット・ヴォルキンとラザルス・アストラチャンによってDNAからタンパク質への情報のメッセンジャーがRNAである証拠が提出されました(mRNAが存在する可能性を示した、このことが確実になったのは5年後、ソル・シュピーゲルマンとベンジャミン・D・ホールらの実験からです)

    1958年 クリックによってセントラルドグマが提唱されます。

    1959年 ロバート・ホリーによってtRNAala分子が単離されました。

    1961年 マーシャル・ニーレンバーグとハインリッヒ・マテイによって大腸菌無細胞発現系を用いたポリウラシルからポリフェニルアラニンが合成される実験が行なわれました(遺伝暗号解明への初めての実験)

    1964年 ニーレンバーグとフィリップ・レーダーによって遺伝暗号解明に大きな寄与をした『トリプレット結合能測定法』が開発されました。ヤノフスキーによって遺伝子がタンパク質をコードしていることが示されました。(遺伝子タンパク質間の共直線性が示された)

    1966年 遺伝暗号の解読が完了します。

    1970年 ハワード・テミンとデビット・バルチモアがそれぞれある種のウイルスで逆転写反応を見出しました。(セントラルドグマ概念の訂正)

    1977年 遺伝子が介在配列によっていくつかの単位に分断されていることが発見されました。(不連続遺伝子、イントロンの発見)

    1979年 フレデリック・サンガーによって、ミトコンドリアではことなる遺伝暗号が使用されていることが発見されました。(非標準コドンの発見)

    1981年 トーマス・チェックによって自己スプライシングイントロンが発見されました。(リボザイムの発見)